防犯ブザーは当てにならない


今日の晩御飯は筑前煮にしよう。あ、でも豆腐ハンバーグもいいなぁ…確か焼くだけでいい豆腐ハンバーグが買い置きしてあったはず。よっし、やっぱり豆腐ハンバーグだ。筑前煮だと、蓮根がないから買いに行かなければならない。一度家に帰ってからまたスーパーへ行くのはめんどくさい。筑前煮は明日にしよう、今日は豆腐ハンバーグだ!

あたしの晩御飯のメニューは、学校からの帰り道、主にマンションについてエレベータに乗ってから玄関の前に辿りつくまでに決まる。何度も繰り返してきたそれは、今ではもう玄関の前に辿りつく前、エレベーターに乗っている数十秒の間でパパッと決めることができるまでに至った。 だからどうした と言われたところでどうしようもないんだけど。


とりあえず今日は豆腐ハンバーグ…晩御飯の前にユカちゃんから借りた漫画を読もう。あれ?今日はお父さんとお母さんの帰ってくる日だったっけ?ってことは、豆腐ハンバーグ3枚焼かなきゃ、ご飯もいつもより多めに炊かなきゃ。確か19時頃だって言っていたような気がする。お風呂も沸かしておいてあげよう。

両親は世界を飛び回る仕事をしている。よく分からないけど、とりあえず忙しいらしい。小さい頃はお母さんがいつも家に居たけれど(その頃からお父さんは滅多に家に居なかった)、あたしが高校生になると同時にお父さんについていってしまった。帰ってくるのは3ヶ月に1度。なんてことだ、両親揃いも揃って娘が心配じゃないのか。まぁ、1人でも全然暮らしていけてるからいいんだけどね…。


「ただいまー」


誰も居ないと知りつつも、家に帰ってきた挨拶をするのはあたしの癖だ。













目の前に広がる景色にあたしは目を瞠った。瞠ったっていうか、見開いたっていうか、疑った。試しにゴシゴシと目を擦ったところで景色は何も変わらない。 どうしたんだこれは。一体いつから我が家のドアはどこでもドアになったんだ。いつ工事したの?そんな工事があるなんてあたし聞いてないけど!管理人さん、どういうことですかこれは!

目の前に広がるのは、見慣れたリビングや金魚鉢の置いてある出窓ではない。そういえば、今朝は時間が無くてすごく急いでいたからリビングにパジャマ脱ぎっ放しで家を出たっけ………パジャマなんてあるはずがなく。

見えるのは、知らない、街。

な、なんて読むんだこれ…スナック…おのぼり…いきおい………あ!おと…勢いって他になんて読むっけ…セイとか?おとせい?スナックおとせい…?なんだそりゃ。上の看板は、ばんじや?あ、違う、よろずや!この前テストで出たなぁ、これ。よろずやぎんちゃん?万事屋銀ちゃん…。た、たぶん、銀ちゃんって人が経営者なんだろうな。


とても深い深呼吸を2,3回繰り返してから、辺りを見渡した。中学のときに修学旅行で行った映画村みたいな建物が並んでいる。いや、でもあれより近代的な気がする。でもこんな街並、あたしの家の周りにはない。なんだろ、江戸とかその時代っぽい街並なのに、妙に近代的で…とりあえず此処どこですか。


さっき自分が握っていた、握り慣れたドアノブはいつの間にか手元から無くなっていた。この短時間で、かなり脳が高速回転された。ものすごい勢いで活性化された。思考回路はショート寸前、確かこんな歌があった、まさにその状態だ。でも昔から順応性の高さをしょっちゅう褒められていただけあって、ショート寸前になりながらもあたしの脳はこの状況を冷静に分析し、だんだんと落ち着いてきている。


「………か、神隠しってこういう風に起きるんだ…」


神隠しにあった子どもたちは、各々こういう世界に飛ばされるんだ、たぶん。これじゃぁ防犯ブザーを持っていたってどうしようもない。斯く言うあたしも、防犯ブザーを常時携帯している。だけど鳴らす暇なんてなかった。今ここで鳴らしたとしても、あちらの世界から誰も助けになんて来ないよなぁ。


「早い話が、アレだ…異世界トリップだ………はは、」


もう笑うしかない。異世界トリップという現象事態は知っていた。今日ユカちゃんから借りた漫画もそういう話だった気がする。主人公の女の子が知らない世界に飛ばされて、山あり谷あり暮らしていくのだ。でもまさかあたしが飛ばされることになるなんて。
と、とりあえず警察だ、警察に行こう。どこの世界にも警察はあるはずだ。ここは江戸っぽいから、たぶん屯所とかそういう名前のところだ、たぶん。


…右往左往してみたところで、そんな簡単に警察が見つかるはずもなく。あたしは今この土地に来たばかりだ、土地勘なんてものあるはずがない。また万事屋銀ちゃん(下のお店は名前が読めないからスルーだ)の前に戻ってきてしまった。万事屋だ、砕けて言えば何でも屋さんだ。道くらい教えてくれるかもしれない、でもなんかものすごく胡散臭い。だって店の名前に"銀ちゃん"って。いや、でも警察に行かなければ。ものすごく変なおじさんが出てきても仕方ない。彼が銀ちゃんというなら銀ちゃんなんだ、うん。いざというときには、役立たずだと罵ったばかりの防犯ブザーを鳴らそう。誰かしら助けてくれるだろう、…たぶん。


万事屋銀ちゃんに行くには階段を上らなければならない、階段の下まで行って上を見上げると、男の人が2人話し込んでいた。


「それじゃ、ダンナ、よろしく頼みますぜ」
「はいはいー、大串くんにもよろしくねー」
「よろしく一発バズーカー撃ってやりまさァ」
「死なない程度にやりなさいよ、沖田くん」


ダンナってことは、あの人が銀ちゃんさん?バズーカーだとか死なない程度だとか…なんだかすごく物騒なんだけど!やっぱりここに聞くのやめようかな、もうちょっと歩き回って見つからなかったら…もう一度来よう。