なにが起こったのだろうか。 「な、んで…、え…?」 万事屋を出てきたはずなのに。今目の前に広がる景色は、脱ぎ散らかされたパジャマと出窓に金魚鉢。ここはあの場所、真選組や万事屋のある江戸ではない。きっと、そう、あたしが元々住んでいた西暦2007年の世界だ。 急いで玄関で靴を脱ぎ、リビングへと駆ける。キッチンにある冷蔵庫の脇に掛けられているカレンダーの日付は、あたしが江戸へと行った日付。両親が帰ってくる予定だから、赤い丸印がついている。リビングにある時計の示す時刻は、あたしがいつも学校から帰ってくる時刻。放り出されてあったカバンの中にはユカちゃんから借りたマンガ。 ………帰ってきたのだ、元の世界に。 あまりの衝撃に思考回路はショートした。もはや寸前とかいうレベルじゃない。1週間の中でこうも自分の予想外のことが起きればショートのひとつやふたつするに決まってる。どうしたんだ、どうしたんだ。どうして急にこっちに戻ってこられたんだ。 今日は万事屋さんに遊びに行って、銀時さんと新八くんの口論を余所に神楽ちゃんがケーキを全部食べちゃって、それにまた2人が怒って…で、真選組であたしの歓迎パーティーを開いてくれるというから帰ろうとした。何も特別なことなんてしていない。…まぁ、あっちの世界に行った日だって何一つ特別なことなんてしてなかったんだけれど。 どうしてよりにもよって今日だったのだろう。きっと今頃屯所では美味しいご飯がテーブルを彩っている。きっと隊士の皆さんが冷蔵庫に入っているケーキを見つけて頬張ってる。なかなか帰ってこないあたしを、沖田さんは早く帰ってこいと怒っているかも。土方さんは山崎さんに探して来い、と言いつけているかもしれない。近藤さんは心配…して、くれている、かもしれ、ない。 してくれているといいなぁ、と思うあたしは既にあっちの世界に溶け込み始め愛着を持っていたのだろう。 「…ふぅ」 ソファにゆっくりと沈むように腰かけた。元の世界に戻ってこられたというのに、喜びの感情は本当に少しだけしか湧いてこなかった。それも、喜びというか、戻ってこられたんだ、という安心がほんの少しだけ。それよりもあっちの世界が気になって仕方がない。せっかく戻ってこられたというのに、あっちに戻りたいとまで思ってしまっている。 あの世界にあたしがいたことで与えた影響なんてきっとひとつもない。だけど、あの世界はあたしにたくさんの影響を与えたのだ。 初めは辛かった、どうしようかと思った。二足歩行で歩く犬やトラ、異常なほどに大きい犬(神楽ちゃんのペット、定春だ)に驚いた。そして気を失って、沖田さんに背負われ真選組に連れていかれた。真選組ではおかしなことに蓮根の星の姫だとかなんだって、敬われたっけ。思い出したら頬が緩んだ。あそこの人たちは真面目に、真面目で、面白かったなぁ。 そしてあたしのどうしようもない嘘を聞いても呆れずに、住み込みで働くことを許してくれたんだ。見ず知らずの世界からきた、そんなおかしな奴だとか危ない奴だとかと思ってもいいくらいなのに、優しく良くしてくれた。そんな懐の深い人たちだったな…なんて、思い出したら涙が出てきた。 「ど うしたら、い いんだっ、ろ…」 あの世界に行く術なんて知らない。でも行ってお礼をしたかった。何も言わずに出てきたも同然だ。いつかはこうなっていたかもしれない。きっと真選組の皆さんもそれは理解の上だったはず。だけど、よりにもよって、このタイミングで。今朝、「歓迎パーティーやるからな」と笑って言ってくれた近藤さんの顔が脳裏にちらついた。どうしよう、涙がぽたぽた止まらなくなってきた。 テーブルの上のリモコンに手を伸ばして、電源ボタンを押す。独特の電波が充満して、黒い画面に明かりが灯る。今、18時20分か…ニュースニュース。コロコロと変わる画面は、涙のせいでほんのり歪んで見えた。こんな時にテレビって、と思われるかもしれないけれど、いつまでもあの世界のことを考えていたら本当にいつまでも涙が止まらない気がして。ニュースでも見れば現実に戻った気がして落ち着くはず、と思ったから。あ、それともアニメでも見てみようか。あまりにも現実離れした内容だったら逆に吹っ切れるかもしれない。 大体この時間帯はアニメがやっているはず。アニメアニメアニメ………………ん、あれ…? リモコンの隣に置いてあったテレビ雑誌を開く。今日の日付、18時、このチャンネルはえーっと…あ、これだ。全てが一致する欄に書いてある文字を、心の中で復唱する。ぎん、ぎん…たましい?ぎんたましい?…こんかな?ぎんこん?それとも、ぎんたま? 無機質な画面に映るソレは、まさしくあたしがさっきまでいた世界そのもののようで。映る人々は、さっきまで一緒に居た銀時さんや新八くん、神楽ちゃんに、近藤さんや土方さん、沖田さんのような人たち。もしかして、の話だけれど。あたしの小さな頭で考えた憶測だけれど。あたしの飛んでいった世界って、アニメの世界なの…?! 「う、うっそ…で、しょ…。ありえないって、こんなこと…」 クルクルと回る画面は、早々とエンディングに向かっていた。流れてくるロールを一字一句見逃さないように目で追う。坂田銀時・志村新八・神楽・定春・近藤勲・土方十四郎・沖田総悟…あ、山崎退、山崎さんの名前も出てる。"ような人"ではなく、本当に彼らなんだ、たぶん、きっと、おそらく…信じられないけれど。 そのまま瞬きゼロの勢いで見続けたロールに、見慣れた週刊誌と出版社の文字。ユカちゃんから借りたマンガもこの出版社だし、あたしの本棚に並ぶマンガにもこの出版社のものがある。カバンからルーズリーフとボールペンを取り出して、このタイトルと出版社をサラリとメモした。泣いたり戸惑ったりしたわりには、随分と冷静に事を運べる自分に心の中で大笑いした。 ブー ブー ブー 「もしもし?」 『もしもし、?お母さんだけど』 「うん、どうしたの?今日帰ってくるんでしょ?」 『その予定だったんだけどお仕事が終わらなくて帰れそうにないのよ!だからごめんね、あと1週間もしたら帰れると思うから!それじゃ、待たせてるから切るわね、ごめんね!』 「え?!ちょ、まっ…!」 着信を告げるバイブが鳴ってからほんの10秒足らず。どうやら両親は帰ってこないらしい。ごめんと言ってくれたお母さんには悪いけど、今日はその方が助かるかもしれない。だってこれからあなたの娘は、真相を確かめるべく本屋さんへと走り、夜通しでマンガを読まなくてはならないかもしれないんだもの。 読めばきっと、何かが分かる。あの世界への行き方なんてものは分からないだろうけど、今、みんながどうしているのかぐらいは分かるだろう。 あたしはお財布と携帯と、先ほどのメモを手に家を飛び出した。 本屋さんにズラリと陳列されていた"銀魂"。ちなみに読み方は未だに分からない。あっても3,4巻くらいまでだろうなんて思っていたのに、それを大幅に超えてかなりの巻数が並んでいたので一瞬買うのを諦めようかとも思ったことはここだけの話にしておく。そう思いながらも一冊ずつ取って縦に積み上げてレジへと向かう。レジのお姉さんにすごく驚かれてしまったけれどそんなこと気にしてる余裕、今のあたしにはない。確かにさ、タイトルの読み方分からないけどちょっと卑猥な感じだってことくらいあたしにも分かるけど。しかもそれを大人買いだよ。驚くのも分かるけど。分かるけどさ! 家に帰るなり袋を開けて、床に出す。本当に夜通し読むことになりそうだ、と少し覚悟を決めた。とりあえずお風呂はつけておいて、晩御飯は…もうお茶漬けでもカップ麺でもなんでもいい。ビリビリと音を立てながら本を包んでいるビニールを剥がす。それさえももどかしいくらいだ。全巻剥がし終え、それらを順番に縦に積み上げて。1巻を手に取り、ゆっくりと表紙を開いた。表紙には銀時さん。実際に見るよりも目が死にかけている気がしたけれど、それはとりあえずおいておく。 「あ…新八くん、だ」 妙さんに、神楽ちゃんも。土方さん、山崎さん、沖田さん、近藤さん、真選組の皆さん。あたしの知らない世界がそこには広がっていて。でも、知っている世界でもあって。今日神楽ちゃんが楽しそうに話してくれたお仕事のお話や、池で出会ったカッパの話も描かれていた。あたしが飛んでいった世界は、本当にこの世界だったのだ。彼らと別れて、また、彼らと出会った。 だけど、その話の中にあたしの姿は一つもなかった。予想はしていたけれど。当たり前だろうけど。だって、トリップで、途中乱入だったわけだし。こういう場合、時の流れにどのような処置が加えられるのか分らない。もしかしたら、あたしがあの世界に居たという記憶自体彼らには残らないかもしれない。…それは、すごく寂しい。たった1週間しか一緒にいなかったのに寂しいと思ってしまう。それはつまり、彼らのことがそれだけあたしの脳に深く強く濃く刻まれているということだ。おこがましいのは分かっているけれど、あたしのことを覚えていてくれたらな…と思ってしまう。 でも今は、それよりも。紙面に描かれて生きている彼らがとても楽しそうに過ごしていた、キラキラと輝いていた。それが分かっただけでも十分だ。 いつかまた飛べたら、その時はまた、優しくあたたかく迎え入れてくれますか? ![]() そう、これは1週間の時空旅行。 ** お付き合いいただきありがとうございました! 20070527 |