火星と月の距離なんて愛の前では0になる









「プロから誘いがきた」



いつもの帰り道、彼は満面の笑みであたしにそう言った。

つい先日、白球が青い空へと弧を描いて飛んでいくのと同時に夏が終わりを告げた。甲子園の閉幕だ。我らが西浦高校は3年目にして健闘が実り甲子園という大舞台に立つことができ、一味違うその球場でボールを打ち、投げ、拾うを繰り返した。惜しくも優勝は逃してしまったが、彼らの活躍は地元だけではなく県全体、関東に大きな歓声をもたらしたのだ。



「プロ…やきゅう?」
「そー!この前の試合、えらい人がいっぱい見に来てたらしくて。誘われちった!」



あとはー三橋とー阿部ー?も、声かけられてたみてぇだぜ! と指を折りながら話す彼の身体全部からワクワクとウキウキと期待に満ちた空気が流れている。不安や心配なんていう負の空気は一切ない。そんな彼にわたしまで嬉しくなってくるのが、ドクドクと興奮を伝える胸から感じる。



「ゆ、ゆう!ちょ、え、ホントなの?!すごいじゃん!プロって!プロ野球?!」
「すげぇよなぁ!オレもすっげぇビビった!モモカンに呼ばれたときはまた頭掴まれるのかと思ってヒヤヒヤしたのにさー、そしたらプロって!世の中にはもっと凄い球投げるやつも凄い球打つやつもいるだろ、オレすっげぇたのしみ。全部打つし全部捕る!」



だいぶ日が沈んで、辺りは濃い朱色に染まっている。彼はそんな中を突き抜けるような笑い声をあげた。つられてあたしも笑う。

高校三年間、その間、あたしの隣にはいつも彼がいて、彼は三年間ひたすら野球を追い続けた。一緒に遊ぶ時間なんてなかったけれど、毎日楽しそうにボールを追う彼の姿がだいすきで、学校からの帰り道や休み時間(1年の時は同じクラス、2,3年は別だったけれど)に隣にいられるだけであたしは幸せだった。野球をしている彼がすきだから、あたしの優先順位が二番だって三番だって何番だって構わなかった。



は?大学行くんだっけ?」
「うん、もっと色々勉強してみたいことがあって」
「西広がさ、言ってたぜ!は覚えがいいから教え甲斐があるって。俺とか三橋とは比べもんになんねーって!」
「いくらなんでも、ゆうと比べられたらちょっと傷つく…」
「ひでぇー!」


再びケラケラと上がった笑い声は朱色の空に吸い込まれていった。朱色の空を黒が横切って、白も横切った。カラスが飛んで、飛行機雲が浮かんだのだ。朱に黒と白のコントラストって、すごい。初めて見たようなその光景を彼にも伝えたくてチラリと横を見ると、彼もあたしと同じく空を見つめていた。たまに見せるこの真剣な表情は、普段の彼からは想像ができない。



「どこの?」
「一応県内で行けるところに行こうと思ってる、都内出てもいいんだけど、あたしここすきだし」
「だよなー!オレも埼玉すげぇすき!特別なにかあるわけじゃないんだけど、ずっといると愛着湧くよなー。オレの身内なんてほとんど埼玉にいるからよけいに」
「ゆう、家族だいすきだもんね」
「もちろん!じぃちゃんの作るトマトちょーうめぇもん!」



家族の話をしていたら思い出した、付き合い始めた頃のこと。突然言われたんだ、「野球も家族もだいすきだけど、ちゃんとのことだってすきなんだかんな!順番とかねぇから!ぜんぶ、大切だしだいすきなんだかんな!」と。そんなこと気にしていなかったけど、もしかしたらちょっとでもそういう空気があたしから出ていたの?と驚いた。気にしていなかったけど、…全然と言えば嘘になるかもしれないし。
突然のそのわけを聞けば、阿部くんがそれが原因で彼女と別れたから、だと(「三橋くん三橋くんって、あたしより三橋くんがすきなんでしょ?!」…不憫だ)。もしかしたら前述したように"優先順位が何番だって構わない"と思えたのは、このときの彼の言葉があったからなのかもしれない。



「…なぁ、
「んー?」
「オレが、ほんとにプロになったら、さ、」
「うん」



彼が前触れなしにピタリと歩くのを止めたため、あたしの方が数歩先へと進んだ。いくらか真剣みを帯びたその呼びかけにどうしたのかと思いながら振り返って返事をした。顔を見れば、また、真剣な顔。珍しい、今日は二回もこの顔を見れた。



「ぜんぜん、会えなく…なる、よな」
「…そうだね」



それは承知の事実だった。スカウトを受けたと聞いたその時、嬉しさと同時に不安が込み上げたのも確かで。でも、それでも、彼の全身から伝わる嬉々とした空気を感じたら不安なんて口にはできない、彼の正の空気をあたしの負で覆いたくはなかった。それに、元々野球を追いかけている彼がすきなのだ。だからどんなに遠くに行ってしまっても、あたしはすきでいるし、すきでいたいと思っている。


…だけど、彼は?

考えていなかった。
話の流れとこの雰囲気、どう考えてもプラスには思えない。今更マイナスの空気があたしの中に渦巻いていく。野球に集中したいから別れようと言われたら、きっとあたしは別れる道を選ぶ。ここで離れ離れになったとしても、それが彼の一歩になるならばいつか幸せに思える日が必ずくるだろうから。



「…ゆう?」
「んうん、なんていうかなー、上手く言えないんだけど」
「うん」
「オレ、…たとえがどこにいたって愛してる自信あるから、さ」
「…え?」
「会えなくなっかもしれないけどよ、それでもどこにいても遠くたってのこと愛してる自信あるからさ!だから絶対オレのいないところで泣いたりすんじゃねぇぞ!さみしくなったらいつだって電話でもメールでもしろよな!…会えなくたって、それでもいつも想ってっからさ、うん、ゲンミツに!」








火星の距離なんて


      の前ではになる



少し早口で言う彼は、最後に照れながら優しいキスをくれた







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ハピー・デイ(平和な)とハピー・オレンジ(幸福な)
title:火星と月の距離なんて愛の前では0になる(by.SBY) 20070609