「うー…だるい」 「あちぃなー」 「慎ちゃん、ウチワ返してー」 「なんだよその慎ちゃんって。ほらよ、ウチワ。1分あおいだら交代なー」 「暑さのせい、暑さのせい。てゆーかコレあたしのウチワだからね、権限はあたしにあるんだからねー」 「あー、そうかいそうかい。なんか喋んのもだりぃな」 「たしかにー」 夏。日を追うごとに最高気温とやらが更新されていく。今日の気温は34度らしい。朝見た天気予報のお姉さんが爽やかな笑顔で「熱中症に気をつけましょう」と言っていた。そう言われて気をつけるだけで熱中症にならないのならお医者さんはいらないと思う。どうすれば予防できるのかまで教えてくれればいいのに。…暑さのせいで少しイライラしているの、かも。お姉さんに八つ当たりだね、これじゃぁ。ごめんね。 そんなうだる暑さの中で真面目に授業をする気になれなかったあたしたちは、こっそりと空き教室へとやってきた。上手い具合に日陰になっていて意外と風通しが良いこの教室は、知る人ぞ知る避暑地だ。教室なんかよりもずっと涼しい。なんてったって教室(特に窓際のあたしと慎吾の席)は日差しが直撃だ。 「でも教室よりは涼しいよね、まだ」 「まぁー、まだマシだな。けど暑いには変わりねぇよ…あー、まじであちぃ」 「次、暑いって言ったら相手のこと1分あおいであげるってことにしよ」 「………」 「……」 「…」 「…なんか喋ってよ、なんも喋んないとか反則だわー」 「んなこと言ったって口開けたら暑いしか出て」 「はい!慎吾暑いって言った!負け!あおいでー!」 「はいはいあおぎますよ…あーまじ暑い」 汗が腕や手のひら、首筋や額を湿らす。何もしていない、座っているだけで汗をかくなんて本当に異常気象だとしか思えない。「そのうち日本は砂漠になっちゃうかもね」と言ったら「砂漠って夜は冷えるんだよなー」と返ってきた。夜は涼しいのか、それはいいね。寝苦しい夏の熱帯夜とはおさらばできるじゃないか。…あ、でも昼間は今以上に暑いんだ。いいんだかわるいんだか判断しかねる。 慎吾があおいでくれるウチワの先から届く優しい風が、あまりにも気持ち良いので目をつむった。真っ暗な世界に、少しだけ光。さわさわと届く風にだけ意識を寄せれば、暑さも多少和らぐ気がする。 あー…なんか眠くなってきた…まだ30分以上あるだろうし、寝ようかな。 「ーー寝てんじゃねぇぞオイ」 「…寝てない、よー」 「今にも寝そうじゃんかよ、ったくおまえは…」 「慎吾、お願いだからそのままあたしに風送り続けてて」 「ふざけんなあほー俺だって暑いんだよ眠いんだよ」 蝉の鳴き声に耳を傾けて、胸いっぱいに夏の空気を吸い込む。そんな中に混じって感じられた匂いに、鼻がくすぐったくなる。夏の乾いた匂いにふと混じっている、慎吾の匂い。いや別にこれはやらしい意味ではなくて、うーん、なんだろな。朝練もあったはずだし汗をかいてるはずなのに、それと混じって嫌な匂いにならなかった香水の匂い。香水?制汗剤?どっちかは知らないけど、爽やかな柑橘の香り。 「…慎吾?」 「んー」 送られていた風がパタリと止んだことと、あまりにも近すぎる声の感覚に目を開いたその刹那、唇に生暖かい感触。唇に?くちびる、に?暑さのせいか上手く回らない頭をフル回転させることもなく、答えはすぐに弾きだされる。今、あたしと慎吾の唇が、くっついた?つまりは、キスした? 触れられた頬が熱く感じるのは、目の前の慎吾を直視できないのは、身体中火照ったように感じるのは、頭が溶けていくような気がするのは。 きっとすべては、この夏の異常な暑さのせい。 「や、だったか?」 「なんで…」 「なんでって…なんかお前見てたら…したくなった。あー…俺、お前のこと好きなのかも」 「ちょ、島崎さん、あたしついてけないんだけど…しかも、かもってなに、かもって…」 「俺、お前のこと好きだ。だからもっかい、していい?」 こんなにも胸がドクドクと音を立てていることも、暑さのせいだということにしてしまいたい。
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